美術館という所の嫌な所
感じ方は自由だと言う傲慢について
落とし所を趣味の問題とする怠惰さについて
固有性・多様性と絶対的なものとの関係
既存の価値感の破壊
自由を後生大事に標榜する人間の不自由さ
当たり前に持っている権利をさも特別なものを授けるように振る舞う
うるさいほっといてくれと思う
感じられるとういことの優越
感覚器官の有無・欠如が問題であるならば、
つまり鳥の視覚か4であり犬猫の視覚が2であることと同じであるならば、まだわかるのだ
同じ人間、なぜ人間は繋がることを欲するのかわからないが、根本はここだ
自由さと繋がることへの渇望は、どちらがより根源的な性質なのだろうか
自由であることの価値と感動が唯一無二であることに異論はない
教育において当たり前のことを当たり前のこととして提示することはもちろん重要だ
形骸化する白々しさ
知が、できるものとできないものを媒介するものはのかどうかはわからないが、知が媒介するものとされてきたこと自体は、多分合っている、ような気がする
が、私は直感したいのだ
実生活・実務における都合上、感じないものを剃り落とすことはあるだろう、前進にあたりスピードは大切だし、そこにおける気づきは前進に大きく寄与してきたわけでもないだろう
しかし、根本がそれであったときには看破される
傲慢と怠惰さとして
それが感じられた時、世界は狭まり相手には背中を向けて去られるのだ
感じる主体はあくまでも当人それのみであるのに、ご大層に言語化しだすと途端に外化する
わかりたい意思ある者のわかりたさ
マイノリティーのためのものをメジャー化させるためのものなのかしら?それならそれで、別にいいのかもしれないが…
と言うようなことを長年腐して発酵させているのだから、そろそろ燃やせと脳が言っている