存在の気づき方

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素晴らしい出会い方をすると、その存在が心により強く刻まれる。

 

桐という木をご存知でしょうか。

花嫁道具としての桐箪笥の話を聞いたことがあります。木目が美しく、軽くて防湿・防虫効果が高い桐は、家具にとても適した材だそうです。家に女の子が生まれると桐の木を植えて、結婚の際に箪笥を調度するという風習は、今でも残っている所はどこでしょうか?ちなみに、私の家の庭に桐は生えてはいません。

 

私が、桐の木を初めて認知したのは数年前、この写真を撮った時のことです。犬の散歩で少し遠出をした時(今のおじじワンは、この頃の15分の1程度の散歩が日課です)、田植えのために田んぼに水が貼られていました。

 

私は、田んぼが好きです。

四季折々に季節を写し込む田んぼは、穏やかな心で見るといつでも美しい。

 

ふと見ると、田んぼに小舟のように、見たこともない薄紫色の花が沢山浮かんでいました。もう何度も、何年も同じ道を歩いてきたけれど、その小舟に気づいたのはその時が初めてでした。咄嗟に、小舟の出どころを探して周囲を見渡してみると、頭上で背の高い木が枝を広げて薄紫色の花をつけています。

 

手も届かないところにある花がこうやって私の前に顕現したことに、特別さを感じずにはいられませんでした。田んぼに浮かんでいるのがいいのです。

また、花を認めた瞬間に桐の花を桐の花として認識しなかったことに、幸運を感じました。花の出どころを探すことと桐の木を探すこととは、まるで違うのです。

 

この木は何という木だろう?という疑問が当然湧き、調べ、私は桐の木を知りました。私は初めて認めた桐の木を忘れることはないでしょう。