寺地はるな『惑星マスコ』

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私はあまり本を読まない癖に、本を選んで買うことが好きだ。財布はいつもからっけつだ。町から図書館・本屋がなくなっても、自宅軟禁されても、しばらく家に籠ることができるほどに本が積まれている。

 

買い方の傾向がいくつかある。

 

まず、”私が私に読んで欲しい本”。そのため私の部屋にはページを開いたこともない本が沢山ある。そして、それらは大抵食指がそそられないのだ。何年も何年も積まれ熟成され、いつの日にか読まれたり読まれなかったりする。

 

次は、”本屋で直感的にイケてると思った本”。根拠は、題名だったり表紙絵だったり作者の名前だったりポップだったり、色々だ。必然的に新刊本が多くなる。ごく稀にとても肌に合う作品に出会えるのだか、自分を何かを見出す天才だと思えて多幸感と万能感をかんじることができる。反面、びっくりするほどつまらないものを引く時もあり、そしてそれは大抵完読するので、時間を無駄にしたなとがっかりすることもある。

 

また、”作者買いの本”もある。近年は減ってきたが、学生時代はほとんどこの買い方・読み方だった気がする。こういう読み方をすると、大抵いつかの時点でパタリとさよならしなければならない。どうして人は変わってしまうのか、または変わることができないのか。自分も他人も。

 

そして最後に、”母に買う本”がある。いつからか、何かにつけて母へ本を贈ってきた。母が好きな作家など数人しか知らないし、私は母が好きな本はほとんど読まないので、基準は私の気分による。”直感的にイケてる本”は自分自身へ買うので、差し詰め、”自分は読む気は無い(無意識的に)が気になる本”と言ったラインナップとなる。こんなにも、身勝手で自分本意な贈り物を贈れるのは母くらいだ。そして母は、それを手に取ることができるタイプの人なのだ。私はただでさえ本を読まないので、母に贈った本のほとんどを読んだことがない。面白かったかどうか聞いてそのままだ。自分でもどういった神経をしているのかよくわからない。母も、どういう神経をしているのか正直わからない。

 

先日、母の誕生日だったので『短編宇宙』という本を贈った。加納朋子以外の作者を知らない。アンソロジーなどあまり好んで読まない。が、その日見た本の中で一番だったので選んだのだ。

その中で、表題の作品を母に勧められた。私の感想が聞きたいのだ、と言われて。

 

私はこの物語をとても気に入り、母に贈ってよかったと思い、また母に勧められてよかったと思い、この物語が私の元へ到達した偶然に驚嘆し、今日の日記とする。