萩尾望都のこと
「一番読む漫画家の作品は?」と問われれば、萩尾望都の名前が出ます。しかし、「一番好きな漫画家は?」との問いには、言い淀んで口に出すことができません。
初めて萩尾望都の作品を読んだのは中学生の頃、母が持っていた『トーマの心臓』でした。本棚の奥にあったものを勝手に読んでいたのですが、男の子同士の好きやらキスやらに驚いてしまい、見ては行けないものを見るように読んでいたと記憶しています。また恐らく、死も不安も罪悪感も嫌いな私にはよく分からない話だったのではないかと思います。それでも何度も読み返し、時をおいて再読を重ねてきました。そして、萩尾望都の他の作品もほとんど読んできたのです。
彼女の作品で心に残っているシーンならたくさんあります。
『スターレッド』のエルグが宇宙へと溶けていくときの独白
『A-A`』の彼女が彼に聞いて欲しい話があること
『メッシュ』のメッシュが最終話で照らされた光の眩しさ
『危ない丘の家』で義経と頼朝の涙が、彼ら自身、固有のものであるということ
『あぶな坂ホテル』でスキーヤーが雪へいつまでもストックを挿し続けること
『バルバラ異界』のキリヤの哄笑
『海のアリア』で欄干に座る主人公
『Marginal』のナスタスと言う女性の名前
・・・・・・
思い浮かべると心がキリキリと締め付けられます。
彼女の作品は私にとって、素直に「好き」と言うには正視しがたいのです。
この「正視し難さ」の正体は何か?と考えたことがあります。私に見られる性質と萩尾望都の作品とを照らし合わせて、いくつか当たりを付けました。
孤独に身が晒されること
自らの生を自らの力で生きること
静寂を見つめ続けること
もしかしたら「恐怖」という言葉に置き換えることができるのかもしれません。
このブログのタイトルは、彼女の作品、「ここではない★どこか」シリーズの中の「世界の終わりにたった一人で」からとっています。初めて読んでから、もう10年ほど経ちました(初出は2007年とのことです)。
当時、また今現在の私の作品へ対する感想は置いておいて、「世界の終わりにたった一人で」という言葉が、時折まじないのように浮かんでくることがありました。出典はすぐに思い出せなかったのですが、「ある誰かが、たった一人で、世界の終わりに何をしたのか」と、とても気になりました。あまりにも寂しいと感じたので。すぐに調べもしなかったので、萩尾望都の作品のタイトルの一つだと再認識したのは、何回目かに思い浮かんだときでした。
「私は世界の終わりまでに恐怖を乗り越えることができるだろうか?」
この漠然とした問いの答え探しの一つとして、このブログを書いていこうと思っています。